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2011年2月20日 (日)

情報の選択

情報を選択する権利と責任は受け手が持っている。
情報の送り手は受け手に対して選択させる自由を与える義務がある。

情報にとって重要なのは「質」だ。
どんなに有益な情報だとしても、その「質」が悪ければ信用できない情報になる。もちろん信用できない情報に賭けてみるのもありだが、それではギャンブルになってしまう。
ただし、情報を見極めるにはそれだけの知識や経験も必要となる。

例えば、年明けに問題になったクーポンのおせち問題。
おせちを作ったことがある人ならば分かるが最低でも1日、ちょっと凝れば2日ぐらいは平気でかかるぐらい手間の掛かるものだ。
それを1店舗が500個販売した時点で無理が出てきていることならば推測がつくだろう。
自分でおせちを作ったことがある人であれば、おせちの質を心配しても当然だと思う(あれほど惨いとは思わなくても、手間を掛けたものにはならないのではないか?ぐらいは気になるだろう)。
この時点で、「安いおせち」という情報の質が少し怪しくなる。
また、販売していたバードカフェというお店に対しても、どれほど信用出来るお店なのか確認したのだろうか?たかだか一介の店でしかない。
前述のとおり、おせちを作るというのはかなりの体力を必要とするものであり、それをこの規模のお店で500個作るというのは怪しさを感じられるレベルのものではないだろうか。
結局、値段という「情報の価値」だけに踊らされて「いい物が届けられるのか」という情報の質を見ずに(もしくはおせち料理の手間を知らないために質を判断出来ずに)発注(発売)したというのが、今回の問題の発端になっている(ここではあくまで注文時の情報の取捨について記述していて、実際の不出来の原因や対応については触れない)。
余談だが、おせちというのは本来主婦が正月三が日に台所に立つことが無いように事前に作るためのものであり、だからメニューも日持ちするものになっているものである。

情報の質が怪しくてもそれに見合う価値で買い物が出来るのであればギャンブルしても良いかもしれない。オークションなどはその例だろう。一種ギャンブル感覚でいかに安く買えるかというのもオークションの楽しみ方の一つだからだ。
それでもオークションで落札する際にはほとんどの利用者は過去の取引評価を確認するだろう。その時点で質の確認を行っていることにはなる。

ただ、今回のおせち問題のように重要なモノ(ハレの日のイベントもの)に対してギャンブルをするべきではないと思っている。クレジットカードのキャッチフレーズではないがプライスレスなモノに対して、プライスを重視した時点で間違っているのではないだろうか。
決して店側を擁護しているわけではないが、買う方もおせちというものの本質や価値を見ずに、コストで選んだことによって「情報の判断の責任」を負わされて、結果としてそのツケを払わされてしまった。

従来、モノの販売は基本的に対面販売であった。そこには自分の目で見て商品を確認し、支払う金額と得られる価値を判断した上で購入するものだったはずだ。
それが通販という仕組みが出た時点でカタログベースでの販売経路が開かれた。ただ通販の中心となっていたのは衣料品などの過去の経験で大体のモノが推測出来るものであった。

ところがインターネットが生活に入ってきて、ここ10年でネット通販が当たり前のものになってきた。

以前の電話通販では購入する際に電話で内容を確認するなど(一部ハガキなどによる販売もあったが)双方でサイズや色などの確認・合意した上で売買がされていた(双方で確認がされていたので、結果的には直接顔を見ないだけで対面販売に近いとも言える)が、ネット通販では判断して購入まで消費者側で自分で判断して決断をしなければならなくなった。
つまり、一方的に提供された情報(WEBに掲載された情報)のみを元に利用者が自分で判断しなければならず、その自分の判断に対して一定の責任を自動的に負うことになってきた。
もちろん、判断にあたって曖昧な点や疑問などをメール等で購入前に確認するなどで情報の質を高めることは出来るが、おせち問題のように時限性があって与えられた情報だけで判断しなければならないケースもある(どちらかと言えばネット通販ではこちらの方が主流だろう)。


ネットや雑誌などに掲載されている商品の評価レビューについても、その質を見極める必要がある。
製品の評価に対しては基本的にプラス要因とマイナス要因がある。もちろん評価自体は非常に主観的なものだから執筆している人の主観というバイアスが常にかかった上で書かれているものと考えなければならない(当然このブログで記載している内容についてもバイアスがかかったものである)。

ニュース系のサイトで書かれている記事もその内容や背景を推測して読むべきだ。特にアップル製品については昔からエバンジェリストと呼ばれる人が少なくない。この人たちが執筆する記事は最初からバイアスが掛かっているものと考えるべきだ。
エバンジェリストの中にも悪い点を悪いとはっきり書く人もいる。実際に使っている(愛用している)上での不満点を記述しているのだから、それはある程度信憑性があるものと読むことが出来る場合が多い。
ただ、ライターと呼ばれる人たちはレビューなどを書くことでお金をもらっている人たちである。彼らは一般に広まる前に記事を書くためにメーカーなどとある程度のつながりを維持している。そうでないと一般ユーザと同様に市場に出てから商品に初めて触るためにレビュー自体が遅くなり、記事の価値が低下するからだ。
そのため、メーカーに対して都合の悪いことは記述しないケースもある。特にアップル製品のように発売(発表)まで情報が秘匿されるようなメーカーに対してはこの傾向が顕著である。だから、彼らはアップルやiPhoneを取り扱っているソフトバンクのマイナス点はほとんど記述しない。記述しても当たり障りのない程度のものだ。
そんなライターの書く記事は基本的にコマーシャルであり、記述した商品を売るためのものになってしまっている。
また、テクニカル系のライターの記事には自慢話になる傾向がある。人は誰もが自己顕示欲を持っているから、テクニカル系以外でもそのような傾向があるが、テクニカル系はその名のとおりある程度以上のスキルが必要となるため、特に傾向が顕著だと思う。つまり「自分はこんなに色々知っているんですよ」的な記事が多くなるということだ。そんな記事も当然ながら記事としての質を下げて読まれるべきである。

ある程度の規模のアフィリエイト系のサイトも同様だ。
アフィリエイトサイトでも大手になると、事前に企業から情報をもらったり発表会などのイベントに呼ばれることが多くなる。当然商品の悪口を書けば次回以降声が掛からなくなるのだから避けるようになる。
ましてや彼らの場合は自分たちが紹介した製品の売り上げがそのまま収入に直結するだけに、ライター以上に偏ったレビューが多くなってしまうケースもある。
アフェリエイトサイトで絶賛している製品が販売先のサイトでは評価が2点程度などざらである。当然サイト側の評価もある程度の母集団の上にたった評価でないと情報の信頼性は落ちるので、どちらが正しいのか分からない場合もある。
さらには企業自身が書いたレビューを載せているサイトすらある。こうなってくるともはや販売代理店に近いかもしれない。当然ながら売り上げに響く情報は書かなくなるだろう。

こうした偏った情報が一律で悪いと言っているのではない。全く情報が無いよりは多少なりともあった方が良いのは確かである。だからレビュー記事にもそれなりの価値はある。ただし、質については怪しさが残る。
大事なのはそういった情報をいかに評価するかであって、それは情報の受け手側の問題だということだ。

本質的には、価値のある情報が流通し価値がない情報は淘汰されるはずだ。
それは顔が見えていた時代も顔が見えなくなった今も変わることはない。ただ、ネットの容易性が判断するという行為も容易にしてしまっているように思える。そのために、淘汰されるべき情報が残っている場合がある。
伝達に人が介在した時点で100%の情報などありはしないのだから、入手した情報の価値を見極めることこそが重要だ。


 

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