成人式
昔話。
今から遡ること20年、1992年の出来事だ。
それまでコンピューターの類いには一切関わることなく過ごしていたのだが、ある日Macintoshを見て一気にのめり込んでしまうことになった。
ゴミ箱にアイコンを捨てると(今でこそドラッグという言葉を使っているが、当時は捨てると表現していた)ファイルが削除されたり、フロッピーディスクがイジェクトされたりするのに驚いた(フロッピードライブはソニー製)。AfterDark(スクリーンセーバー)のFlying Toasterのナンセンスさや起動時のアイコンパレードのいかにも起動中というワクワク感、直感的なフォルダ操作等々、それこそ「コンピューターを知らなくても操作できるパソコン」をそのまま体験し、そして魅了された。
どうしても欲しくなったのだが、その当時の値段は13インチの純正カラーモニターと合わせて定価で100万円超。とても学生が簡単に手を出せる金額ではなかった。型落ち間近のモデルを何とか40%OFFの60万円まで下げてもらったものの、貯金やお年玉など全部を叩いても足りず、残りは分割で返済することで何とか入手することができた(返済には3年以上掛かった)。
こうして手に入れた最初のMacintoshは、Macintosh IIci。25MHz(GHzではない)の68030MPUにコプロ(FPU)付き、メモリーは4MBで、ハードディスクはSCSIの80MB(これもGBではない)。標準でカラー出力のグラフィックをサポートしているのも魅力だった(8bit256色で640px×480px)。モニターはソニー製トリニトロン管を採用した13インチの純正ディスプレイ。付属してきたOSは漢字Talk6.0.7だった。
ネジ無しで内部にアクセス出来たり(中はスカスカ)、縦横を置き換えられるデザインなどハードウェアとしての造りも美しかった(思い出補正があるのかもしれないが、今でも一番美しいと思っている)。
この当時、Macintoshの周辺機器で10万円を切るようなものは格安と言われていた。PC98などと比べると総じてMacintosh関連は高価だったが、何しろ増設メモリも4MBで10万円の時代だ。1GBで考えると25百万円(当然そんなサイズは無かった)なので、ビットあたりの単価はこの20年で25万分の1〜50万分の1に下がったことになる。Quadra700へのアップグレードなんて夢の世界の出来事だった。
それでも最終的には68040のアクセラレータカードをNuBUSに挿して5年以上は稼働してくれた。
Quadra700(IIciと筐体は同じだが縦設置用にデザインが変更されている)
その頃は目的がなくてもMacintoshを操作するだけで楽しかった。周りにはPC98とMS-DOSを使っている人もいたが、何が悲しくてあんな楽しくないマシンを触っているのか全く理解できなかった。
キーボードは今で言うところのUSキーしかなく(少しでも安くするためにStandard Keyboard)キーボードショートカットを含めたキーボード操作の原体験が必然的にUSキーだったので、今に至るまでMacintoshではUSキーしか使っていない(Apple StoreでJISキーの展示機を操作すると必ずショートカットを間違える)。
刻印がなくなった今でも頭の中ではコピーは「アップル+C」(厳密にはアップルキーではないが)で「Command+C」ではない。
漢字Talk6.0.7はアイコンが白黒だったが自分でカラー表示に変更したりもした。操作しているうちにシステムがクラッシュしてしまい何度もインストールをしなおしたりもした。
ソフトウェアは最初にMacintoshを触らせてくれた人からもらったりしていた(Excelもフロッピーディスク1枚にプログラム本体は格納出来た)。もちろん今で言うところの不正使用である(当時はそんな意識があまり無かった)。ExcelもFD1枚に入ったし、Photoshopのプログラムも入ったと思う。
一番使っていたアプリケーションはマックライトIIとマックペイント。マックライトIIは今の基準からすればテキストエディタと言ってもいいぐらいだが、当時はれっきとしたワープロソフトだったし、マックペイントもWindowsに標準のペイントに近いものだった(逆に言えば今のWindowsに入っているものと同等のものが20年前にはすでに動いていたということ)。
次に使っていたのはResEdit。アイコンに色を付けたり、日本語を表示しないアプリケーションのHexを書き換えて日本語表示にしたり…これが今の「Macはカスタマイズが基本」の第一歩だった。
MacsBugもインストールしていて、esコマンドに何度救われたことか。
ウィルス対策ソフトはフリーウェアのDesinfectant。
ディスクドライバをSilverlining(LaCie製)にしたりして、いかに快適に動作するかを模索するのも楽しかった。
System7がリリースされた当初は日本語が使用できなかったのでGomTalkを入れて、無理矢理日本語を使っていた。当時使っていたFEPはEGBridge。
CD-ROMドライブは2倍速の純正外付けドライブ(ドライブはソニー製)を数万円で購入した。当時はCD-ROMをそのままトレイに入れるのではなく、キャディと呼ばれるケースに入れてからドライブに挿入していた。
ハードディスクも急激に容量が増え、とうとう1GBのディスクを購入・換装することになった時は1GBなんて大容量は一生使い切らないのではないかと「大きな勘違い」をしていた。
System7になるに従ってコンフリクトも頻発するようになってきて、Startup Manager(Now Utilitiesの一製品)で最適な起動ステップを模索したり、NoMeMoBustersで文字化けを解消させたり、FontPatchin'で日本語表示にも対応したり…この当時のことを書き出すと止まらなくなる。
そうこうしているうちにIIciの残債も精算し終わり、プロセッサーもPowerPCに移行したので購入したのがPowerMac 8500/150。モデル名のとおり150MHzのPowerPC604搭載機。本体に合わせてキーボードも念願だった拡張キーボード、モニタも17インチのトリニトロン管(この頃のMacintoshにはFD、CD-ROM、モニターとソニー製を多く採用していた)を採用した純正ディスプレイに変更した。モニターは安いサードベンダーもあった(三菱のダイアモンドトロンが出た頃だったと思う、液晶ディスプレイはまだまだ発色が悪くブラウン管が最後の輝きを放っていた頃)が、ディスプレイは一番目に入ることもあってレインボーアップル入りに拘ったため、高い純正を購入。
やっとタワー型のMacintoshを買えたというのがとても嬉しかった。
実働期間が一番長かったのはこのマシンで、96年から02年頃までOSはSystem8にして約6年間もの間頑張ってくれた。ビデオ入力回路を標準装備していたので、QuickTimeムービーもこのマシンで作った。
この頃作ったアプリケーションはMacBook Proのハードディスクの片隅に遺跡として残っているが、当然動かない。
このマシンで主に使っていたアプリケーションはPhotoshop。タブレットをマウス代わりにしていたので純正マウスはほとんど使わなかった。スキャナーもSCSI接続で今では考えられないほど分厚くそして重たかった。
当時はネット通販などもなく(電話通販等は当然あった)、如何に安く購入するかという目的で秋葉原を探索した(今ではやらないが数時間歩き回って探すのが基本だった)。
たぶん、IIciと8500の2台関連で費やしたお金で楽に車の1台は買えていただろう。
秋葉原をウロウロしていたこともあってPowerMacintosh8500を導入と同時期に仕事の関係で自作PC/AT機を1台作成した。OSはWindowsNT4.0とLinux。LinuxのディストリビューションはSlackware。当時はLinuxの普及が始まったばかりでドライバもなかなか揃わずIntelのLANボードすらデフォルトでは認識しなかったので、カーネルのリコンパイルをして動作させていた。確かK-5で組んだと思う。
そして旧MacOS機で最後に購入したのがボンダイブルーのiMac(Rev.B)。すでにMacOSXの噂が出ており、G3ならばそこそこ動作するだろうと思って購入した。しかし実際にはこのマシンにMacOSXのパブリックベータをインストールしたところ、あまりの出来の悪さにうんざりしてSnow LeopardまでMacから遠ざかることになるという皮肉な結果に繋がった。マウスとキーボードからもそれまでのアップルらしい使いやすさが無くなってチープな造りになったのも残念だった。
このiMacはベッドサイドに置いて夜遅くまでチャットをしたり、メールや簡単な調べ物をするなどに使用した。
最初の10年を振り返ると、自分の中ではSystem6〜7系とMacintosh IIciの強烈な原体験、System7〜8系とPowerMac8500/150の充実期、System8〜9系とiMacの減衰期の3期があったように思う。
その中でも原体験というのは強烈に残るものだ。前述のとおり今でもキーボードはCTOでUSキーを使っているし、ハードディスクと言われて頭に思い浮かぶのは今は亡きQuantum(IIciも8500もFireballを搭載していた)でメモリはMicronだ。
Silverliningのバージョンアップがリリースされるとドライバを更新してSCSI Probeで確認したりとか、システムクラッシュしたらesコマンドで復帰を目指し、だめならrsコマンドでリスタートとか、TidyitUpでシステムフォルダの中をきれいに整列させたりとか、とにかく良く覚えている。
その頃のMacintoshに入っていたアプリケーションのほとんどはPhotoshopやExcelなどのメジャーどころを除けば、すでにこの世から消えている(Snow Leopardでは動かない)。
だからStuffItを見つけたときは「おまえまだ生きていたのか!」という感覚だった(でも当時はCompact Pro派)。
結局、iMacを最後に一度Macintoshからは離れ、Snow Leopardで戻ってくるまでの間はWindowsが中心となっていった(その頃の副業の影響も大きい)。
この間、Celeron300Aを450MHzのDualで動作させることがブームでマレー産のロット指定で購入したりもして、以降Pen3-S、Core2DuoとDualCPU(Core)しか使用していない。シングルコアの最終機もiMacだったということになる。
WindowsのOSもNT4.0→2000→XPで、95系のOSは使ったことがない。これはMacOSでOSクラッシュを散々経験した反動で少しでも安定性の高いNTカーネルしか使う気にならなかったせいだ。
現在使っているWindows機はCore2Duo E6600でOSはXPのまま(Parallelsのみ7をインストールしている)で、RAID0を組んでいるせいもあってそこそこ快適。たぶん、しばらくはこのままだろう。
そして今がMac復活期。
昔のMacintoshは荒々しい楽しさだった。何かあるとすぐシステムクラッシュを起こすし、いかに安定させるか毎日じゃじゃ馬と格闘しているような楽しさだ。
今でもIIci、8500、iMacの3台は宝物として部屋の片隅にある(まだ火は入るはずだが、さすがにディスクが壊れそうだ)。手放そうと思ったことは一度も無い(8500に移行したころ、IIciを譲って欲しいと言われたが頑なに断った)。
今のMacは快適な楽しさだ。手軽な値段で購入することも出来るし(IIciの定価でMBPは5台、MBAなら10台買えるのだから)、MacBook Proはどんな作業も平気な顔でこなしてしまう。ましてやMacBook Airで外にまでMacを持ち出せるなんて…(PowerBookは気軽に持ち運べる重さでも値段でも無かった)。
どちらの楽しさがいいのかは、わからない。。たぶん、どっちも忘れられないMac体験になるのだろう。
おまけ。
Flying Toaster(当初は白黒だったのでこのシミュレーションはカラー化された後のモノ、iOSデバイスでは表示不可)。
同じように昔を懐かしんでいる人が作成したものだが、良く再現出来ている。
今ではもっときれいなスクリーンセーバーが沢山あるが当時はこれが斬新だった。20年前とはそんな時代。
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コメント
こんにちは
自分も同じく古参ユーザーなのでウンウン、そうそうと頷きながら楽しく読ませてもらいました。
ウルウルきてしまいコメントさせてもらいます。
同時期に自分はSE/30にビマージュのフルカラーボードを差して純正13インチで動かしてました。
お金突っ込みましたよね。92年か〜・・・ちょうどQuickTimeが出た頃かなぁ
外付けCD等倍が10万円、内蔵HDが80Mだから足りなくて外付けリムーバブルHDも10万円、AdobeのTypeManagerが使いたくてATMに4万円、純正のが高くて買えないのでスター精密のPostScript互換レーザープリンターに25万円、そうそうエプソンのGT-6000とオプションのSCSIボードで17万円、その他ソフト代は・・・怖いです。なんでこんなこと覚えてるんだ?と思うくらい当時愛があったんですよね。悪い女に引っかかったかのように散財しました。でもお金では替えられない経験ができたと思ってます。
IIciまだあるんですね、羨ましいです。自分は去年とうとうやむにやまれずOldMac数台は周辺機器含めて全て処分してしまいました。悲しかったなぁ。IIciずっと大事にしてくださいね。たまに今回のような昔話トピお願いします。おじさんにはたまりません。HyperCardなんかも取り上げていただけるとうれしいです。
これからも頑張ってください。
投稿: yama | 2012年1月21日 (土) 02時53分
当時はMACLIFEに掲載されている広告ですら「買えない」ので広告の役目を果たしてくれませんでした。ただただ羨望で見ていただけです。
何かを買うにしても年に1回かそこらなので、じっくりそれこそ数ヶ月も悩んでから購入していました。
8500と17インチを購入した際にはIIci用にGranVimageを買いました。CPUもやはりInterwareのBoosterで40にしています。Interwareは「国産だから安かった」んですよね、当時は。国産が安いというのも今では考えられないかもしれません。
当時の情報は雑誌かNifty-serveのFMACUS、あとは自分で探すしかありませんでしたから、自然と色々試して、壊して、直してを繰り返していったので記憶に強く残っているのだと思います。
(ココログを使っているのもある意味その当時の流れのまま…ということです)
IIciは手放せません。たぶん今まででそしてこれからも購入した中で一番高価な座を保持し続けるでしょう。
投稿: あれやこれや | 2012年1月22日 (日) 03時41分